そして、鞴(ふいご)祭りで祭られるのが「稲荷」なのである。
今日では、商売繁盛の神様になった感のある「稲荷」は、鞴(ふいご)の神であり、製鉄の神であった。(2007.8.16作成)
江戸時代5代将軍綱吉のころ、紀伊の国生まれの商人紀伊国屋文左衛門が、暴風雨の中、有田みかんを江戸に廻船して大儲けをした話は有名であるが、このとき、江戸では11月8日の鞴(ふいご)祭りを前にしてみかんの値が急騰していた。
鞴(ふいご)祭りでは、鍛冶屋は家内に祀った「稲荷」にみかんを供え、祭りの最後に鍛冶屋はみかんを家の外に撒き、近所の者はそれを競って捕りあうのであった。
この鞴(ふいご)祭り、鑪(たたら)製鉄の始まりのころから形を変えながら続いていたものと考えられるが、稲荷信仰と結びついたのは、いつ頃であろうか。
伏見稲荷
京都府伏見区にある伏見稲荷は、全国の稲荷の総本宮であるが、この地は、もと山城国(山背国)紀伊郡深草里と言い、紀伊国から紀氏の一派が移り住んだところである。
紀氏が稲荷信仰の素地をこの地に持ち込んだものと考える。
思うに、紀氏は出雲や吉備を経て、あるいは彼らと同族であり、鉄と製鉄の際に必要な木材を求めて紀州の地に辿り着いた。
その後、大和朝廷に鉄をもたらしながら、やがて大和朝廷に組み入り、その勢力の拡大とともに、各地に伝播したのではなかろうか。
あるいは、大和朝廷より早く、鉄と木材を求めて東征していったとも考えられる。
そのような中で考えて行くと、増田家に纏わる稲荷信仰は興味深い。(2007.8.20補訂、2007.8.16作成)
(2007.8.20以下、つづく) Copyright (C) 2007-2008 増田信敬(masuda nobutaka) All rights reserved