「草木奇品家雅見」とその著者増田金太(増田繁亭金太郎)somoku kihin kagami /masuda kinta (masuda hantei) 

文政10年(西暦1827年)江戸青山権田原の種樹家(植木屋)金太は「草木奇品家雅見」を著しました。これから、増田家7代目(金太から6代目)の私が金太の足跡とその周辺を探索します。 Copyright (C) 2007-2010 増田信敬 (masuda nobutaka)All rights reserved
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豊川稲荷と増田家
(この章の更新日2008.2.27)
 
増田の在所に豊川稲荷あり
 
 何を意味するのか、増田の祖先が在所したところには、豊川稲荷がある。
 
 信濃国望月(現長野県佐久市望月)しかり、武蔵国久米(現埼玉県所沢市久米)に到っては菩提寺の時宗長久寺境内にある。
 また、増田繁亭金太郎が種樹家(植木屋)を営んだ青山権田原を下った赤坂見附には、豊川稲荷東京別院がある。
 
 さらに、鳩森神社(千駄ヶ谷八幡)境内にも、甲賀稲荷があるといった具合である。
 
 ここでは、豊川稲荷について考えて行きたい。(補訂2008.2.27/2007.8.9作成) 
 
 
鞴(ふいご)祭りと稲荷信仰
 
 鞴(ふいご)とは、製鉄の際に炉を高温にさせる強制送風装置である。燃焼効率を高め、製鉄に欠かせない器具であり、この取り扱い如何によって、鉄の出来不出来を左右した。ゆえに大事に扱われたし、信仰の対象ともなった。
 
 その起源はいつ頃であろうか。
 江戸時代では、11月8日に鞴(ふいご)祭りが各所で行われていたし、例えば、今日の公立の工業高校でも鞴(ふいご)祭りが行われている例が多い。
 
 そして、鞴(ふいご)祭りで祭られるのが「稲荷」なのである。
 今日では、商売繁盛の神様になった感のある「稲荷」は、鞴(ふいご)の神であり、製鉄の神であった。(2007.8.16作成)
 
 江戸時代5代将軍綱吉のころ、紀伊の国生まれの商人紀伊国屋文左衛門が、暴風雨の中、有田みかんを江戸に廻船して大儲けをした話は有名であるが、このとき、江戸では11月8日の鞴(ふいご)祭りを前にしてみかんの値が急騰していた。
 鞴(ふいご)祭りでは、鍛冶屋は家内に祀った「稲荷」にみかんを供え、祭りの最後に鍛冶屋はみかんを家の外に撒き、近所の者はそれを競って捕りあうのであった。
 
 この鞴(ふいご)祭り、鑪(たたら)製鉄の始まりのころから形を変えながら続いていたものと考えられるが、稲荷信仰と結びついたのは、いつ頃であろうか。
 
 
伏見稲荷
 
 京都府伏見区にある伏見稲荷は、全国の稲荷の総本宮であるが、この地は、もと山城国(山背国)紀伊郡深草里と言い、紀伊国から紀氏の一派が移り住んだところである。
 紀氏が稲荷信仰の素地をこの地に持ち込んだものと考える。
 
 思うに、紀氏は出雲や吉備を経て、あるいは彼らと同族であり、鉄と製鉄の際に必要な木材を求めて紀州の地に辿り着いた。
 その後、大和朝廷に鉄をもたらしながら、やがて大和朝廷に組み入り、その勢力の拡大とともに、各地に伝播したのではなかろうか。
 あるいは、大和朝廷より早く、鉄と木材を求めて東征していったとも考えられる。
 
 そのような中で考えて行くと、増田家に纏わる稲荷信仰は興味深い。(2007.8.20補訂、2007.8.16作成)
   (2007.8.20以下、つづく) 
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