増田繁亭金太郎(植木屋増田金太)の生涯
(この章の更新日2009.4.7, 章の名称変更2007.11.9)
上野益三著「博物学の時代」(1990年八坂書房)178ページによると、「金太は江戸青山に住んだ種樹(園芸)家で、父を弥助といい、「奇品家雅見」が出たときまだ健在で、金太はその末子であった。住所は青山権田原の近くで、今の港区の北端、東宮御所に近い辺りであっただろう。金太の生没年は明らかでない。」とされています。
当家では、残念なことに、江戸時代から伝わった資料をすべて東京大空襲の際、現在の渋谷区代々木2丁目(旧千駄ヶ谷村)、玉川上水葵橋(あおいばし)にあった居宅で焼失してしまいましたので、古文書により確認することはできませんが、新宿区にある浄土真宗本願寺派の菩提寺「林光寺」の墓石によると次のことがわかります。
増田金太の没年は、「文久2年壬戌(1862年)8月11日」、没年齢は数え年で「70歳」と刻まれており、これによれば、生年は寛政5年癸丑(1793年)、「草木奇品家雅見」を著した文政10年(西暦1827年)には35歳あったと考えられます。
なお、戒名は「珠光信士」と授けられております。
また、辞世の句を残し、墓石にも刻まれており、次のようにも読めますが、残念ながら判読できません。
「□□□□ 久露乃萩□□宋 授ふ茂」
墓石側面の高詳細画像はこちらをご覧ください(画像の大きさは、6MBあります。)。
実父は江戸青山権田原の植木屋(種樹家)石井弥助ですが、増田家に養子に入り、増田金太を名乗りました。
増田家は、当家の伝聞によれば、信濃国の出身で、戦国期に武田信玄の家臣団に入り、武田家滅亡時は山梨県塩山に在所があり、その後、武蔵国久米村(現在の所沢市久米)に移り住んだとされております(現在も、所沢市久米には増田性が多く存在します。)。
下記の引用文献によれば、信濃国の佐久から上田にかけて、平安時代から滋野氏という有力豪族があり(注1)、その後、滋野氏から海野氏、望月氏、禰津氏が分かれました。さらに望月氏の中から望月重俊が増田性を名乗っています(注2)。
望月氏は武田信玄の佐久攻めにより武田氏の軍門に降ってその家臣となり、現在の山梨県塩山に所領を与えられて居を構えたとされております(注3)。増田一族も望月氏に従って山梨県塩山に居所を移したものでしょう。ただし、一族すべてが武田の家臣となったのではなく、別の一族は真田家の家臣となり、さらには現在の長野県青木村に在所した者もあったと考えられます。
「清和源氏総括」の項
「(滋野氏へ)、(望月氏へ)」の項
また、それ以前の鎌倉時代、信濃善光寺や戸隠で修行を終えた一遍上人が、踊り念仏を滋野氏一族が治める佐久地方で初めて行ったとされておりますので、阿弥陀仏、のちの時宗に帰依したのもこの頃ではないかと思われます。
武蔵国久米村に移り住んだ増田一族は、久米村の時宗長久寺に帰依します。
その後、江戸後期に、一族の中から菩提寺である長久寺に同じく帰依した江戸青山権田原の植木屋石井弥助の縁で江戸に出た者があり、これが青山で初代を名乗りました。この初代は石井弥助の子を養子とし、増田金太と名付けました。したがいまして当家では増田金太は二代目としています。
居宅は現在の東京体育館付近で、植木畑は現在の神宮外苑から千駄ヶ谷村一帯に点在していたと伝えられています。
増田金太は、文政10年(西暦1827年)に「草木奇品家雅見」を著した前後、植木屋(作庭家)として、また、奇品を扱う園芸家として、大名屋敷、旗本等の武家屋敷、寺院、諸家に出入りして文政期の園芸ブームの中心にあって活躍しました。
ところが、鉢物が高価で取引されるようになったため、自身も莫大な利益を上げたこと、園芸ブームが身分を越えて広まり身分制社会を基礎としていた幕府体制と相容れなかったことから、老中水野忠邦による天保の改革の際、三度にわたり財産を没収され、最後には「闕所の罪(けっしょのつみ)」により江戸四谷の大木戸門外に追放の憂き目に遭いました。
もっとも、救う仏もあり、居宅は幕府に没収されて御鉄砲場(明治に入って陸軍練兵場を経て大正後年に明治神宮外苑となる。)となりましたが、植木畑の大半は紀州徳川家の下屋敷となり、自身も紀州徳川家に雇われて現在の鳩森八幡(千駄ヶ谷八幡)あたりに在所を移したようです。
また、「草木奇品家雅見」も、大名の参勤交代制度により、江戸出府の武士によって諸藩の国許に渡り、諸国でも園芸、奇品ブームが起こりました。今日でも、加賀前田藩、富山前田藩等にその影響を見ることができ、また、尾張徳川家、伊予松山藩、肥後熊本藩、薩摩藩などの書物を引き継いだ図書館等に「草木奇品家雅見」の原本が残ることからその事実がうかがえます。
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補訂2009.4.7/補訂2008.2.27/作成2007.2.24