文政年間、増田繁亭金太郎の住居は、絵図の一行寺(現在の浄土宗一行院)隣の「紀 久野丹波守」の屋敷にあった。現在の青山権田原交差点の明治記念館の地である。
天保の改革後の住居は、絵図の上方(西側)に「(千駄ヶ谷)八幡宮」と紀州徳川家の下屋敷があるが、その隣の「百姓地」と広がる「畑」が在所であった。
この地は、明治初年に徳川宗家十六代徳川家達公や天璋院篤姫の住まいとなった「千駄ヶ谷徳川屋敷」であり、今日の東京体育館である。(2008.2.11)
千駄ヶ谷・鮫ヶ橋・四ツ谷絵図.pdf
千駄ヶ谷は、新撰組沖田総司の終焉の地でもあった。(2008.5.30補訂)
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