信濃国望月氏と増田の家
(この章の更新日2007.9.14)
紀国造である紀氏からの流れ
通説によれば、神武天皇東征の後、紀元前7世紀に天道根命(あめのみちねのみこと)が紀伊国造に任命され、紀氏が誕生した。
紀氏は、紀伊国造であるとともに、和歌山市の「日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)」の祭祀を今日まで受け継いでいる。
一方、武内宿禰という豪族があり、その母系が紀伊国造であったことから武内宿禰は子の木角に紀氏を名乗らせた。その後、伊蘇志(勤氏)、楢原氏を経て大和国葛城山麓に滋野氏が生まれ、滋野氏の一族が牧(馬の産地)の牧監として信濃国佐久地方に移って勢力を拡大し、滋野氏から滋野三家と云われる海野氏、望月氏、禰津氏が生まれている。
増田の家系は、この望月氏の望月重俊が増田を名乗ったことから始まる(参考文献「続群書類従 第七輯上 系図部」塙保己一、太田藤四郎編 昭和3年続群書類従完成会)。
信濃の滋野氏は平安時代、増田は室町時代頃の成立であろうか。
この通説の他に、諸説あるようだが、有力説に、神武天皇即位前から有力者であった大伴氏が東征の折、信濃国佐久地方に良馬が産するのに気づき、この地に氏族が残り、その後、奈良時代から平安時代初期にかけて牧監として大伴氏の氏族である伴氏、望月氏が滋野氏より先んじてこの地を治めていたとも考えられている。
いずれにしても、望月の牧は単に馬を産するだけでなく、蹄鉄のために砂鉄から鉄を得ることや、他の産業の発生、交易や人口増に伴う政治体制の確立など、地方における中心地の形成を促したと考えられる。
ここでは、望月町(現佐久市望月)に、大伴神社があり、大伴氏祖神である天忍日命(あめのおしひのみこと)と紀氏の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が祀られていること。さらに素盞嗚尊が祀られていること。また、八幡社には、武内宿禰が祀られていること、同地に砂鉄を産することを指摘して置きたい。
また、増田家ゆかりとしては、天忍日命(あめのおしひのみこと)と天久米命、さらに時代は異なるが豊川稲荷神社を記したい。
(この項、2007.9.14補訂、2007.8.16補訂、2007.8.5作成)
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