「草木奇品家雅見」とその著者増田金太(増田繁亭金太郎)somoku kihin kagami /masuda kinta (masuda hantei) 

文政10年(西暦1827年)江戸青山権田原の種樹家(植木屋)金太は「草木奇品家雅見」を著しました。これから、増田家7代目(金太から6代目)の私が金太の足跡とその周辺を探索します。 Copyright (C) 2007-2010 増田信敬 (masuda nobutaka)All rights reserved
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西鉄宮地岳線と志賀島金印紀行
(この章の更新日2007.3.9)
 
 車社会、生活様式の変化、少子高齢化などによって地方のローカル線、バスなどの廃止が加速している。今後、20年、30年後、高齢化がさらに進み、今は車を使っている人が交通弱者になったとき、人々の生活は維持できるのだろうか。
 この3月末にもいくつかの路線が廃止されるが、平成19年2月25日(日)、今回は福岡県の西鉄宮地岳線を訪ねてみた。
 

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寝台特急の夜
 
 いまどき福岡まで鉄道、それも寝台列車で行く時代でもあるまいが、往路は前夜発の寝台列車とした。
 東京駅18時前、車内販売のない列車の旅を覚悟して、八重洲口で駅弁を2食買い込む。
 ここには、全国各地の名物駅弁が集合して目移りしてしまうが、その中から東北八戸駅の「大間のマグロづけ炙り丼」と仙台駅の「独眼竜正宗辨當」を買う。目的地と何の脈略のないチョイスだが、目が先に行ってしまった。
 寝台車は静かである。昭和50年代、いびき、歯軋り、深酒の大きな声が眠りを妨げたが、今はジョイントの響きもなく、レールの軋みによるやや大きな揺れだけである。それにしても航空機は揺れないものだなと天と地の比較をしているうちに眠りに落ちた。
 
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やはり時間が掛かりすぎる
 
 博多着が午前10時では、やはり時間がもったいない。徳山で降りて広島始発の新幹線に乗り換えた。車内には、不安そうな顔をした娘と母親が散見された。どうやら福岡で大学入試のようだ。大学全入時代を迎えても本人は不安なのだろう。それとも有名校なのだろうか。


西鉄宮地岳線これでも廃止か

 西鉄宮地岳線は、福岡市営地下鉄箱崎線に接続する。
 地下鉄建設計画当初は、相互乗り入れ案もあったらしいが、輸送力過剰で見送られた。
 
 県庁に用のある人は「千代県庁口」で降りずに「馬出九大病院前」で降りろと聞いているだけで煩わしい車内放送があって、程なく終点「貝塚駅」に着いた。接続はよく、西鉄宮地岳線の2両編成の電車は、単線の高架を博多・小倉間のJR鹿児島本線につかず離れずに進む。福岡のベットタウンで高層マンションも多い。ここは、当然廃止予定区間ではない。
 
 高層マンションが途切れるとやや瀟洒な住宅街や、それほどでもない郊外住宅地を進む。
 浮世離れした昭和40年代の遊園地を過ぎ、「三苫(みとま)駅」に着いた。乗った電車はここ止まりであった。
 途中どまりの電車があるように、西鉄宮地岳線は末端に行くほど旅客が減る典型的な郊外路線で、廃止される区間も次の「西鉄新宮」から先である。

 後続の電車はすぐに来た。昔懐かしい「釣り掛けモーター」で、要するにレトロなモーターの響きがしてローカル色が高まってきた。それにしても福岡には神社が多い、地下鉄から「箱崎宮」、乗り換えて「香椎宮」、「新宮」と来た。宮地岳線の名も「宮地嶽神社」にある。
 
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 ところで、砂地が多くなってきたが、住宅もアパートも依然としてある。これだけ住宅があっても廃止なのかと訝しげになるところだ。線路の北西側はすぐに玄界灘で後背地が少ないとしても、南東側はいくらでも住宅が増えそうである。

 実は、宮地岳線の苦境は、車社会、生活様式の変化、少子高齢化だけではなかった。
JR化後の鹿児島本線の充実振りが強敵であったのだ、部分廃止後もバスはJRの駅に向かってしまう。

 
先人の苦労を忘れたか
 宮地嶽神社の甍を遠くに霞みながら、終点の「津屋崎」に着いた。
 駅前にタクシーが常駐し、タクシー会社もあるが、どこか終着駅に相応しい駅であった。
 とりあえず近くの海まで歩く。暖冬のこの冬、それほど寒くないが海まで行ったら歩くのが億劫になった。もう少し歩けば、古い町並みやもうひとつ別の神社にお参りできるのだが。
 
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 駅に戻って、駅頭の「電車開通記念碑」を見上げる。それほど大きく、開通当時の人々の熱意が伝わってくる。私たちは先人の苦労を忘れ去ってしまったようだ。
 

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風景の変わった志賀島
 
 風景の変わった志賀島と言っても昔を見ていないのだから言う資格はない。
 ただ、JR香椎線は道路とともに砂洲の上を走り、線路は半ば砂に埋まり、両側に海が見える景色をどこかで見た覚えがあるだけである。
 5年遅かったように感じられる。砂洲の両側に高く砂が積まれ、松の防砂林が植えられていた。砂山の高さで海はほとんど見られない。景色が失われたように思うのは旅人の勝手な感傷だろうか。


 
志賀島の金印
 
 福岡には何度も来ているのに、この国宝を見ていない。
 折角だから見たいと思った。現物は地下鉄に乗って福岡市博物館にあるという。
 地下鉄の「西新駅から」13分ほど歩いて、これも見たいと思った元寇の際に築かれた防塁の跡を忘れたころ、博物館についた。

 小学校のころからおなじみの「蒙古襲来絵詞」は複製展示だったが、「金印」は「国宝」と書かれているだけで「複製」の表記はない。四方八方から見て堪能し、小学校のころ贋作説もあったよなと思い出しながら帰途のスカイマークに搭乗した。

 六日後の3月3日、朝日新聞に「志賀島「金印」に偽造説再燃 地元の反応は複雑」の記事が掲載された。福岡市博物館のコメントが伊都(いと)おかしい。「偽造説の登場を逆手にとって「興味ある方は、ぜひ見に来てください。」」と。
 
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