「草木奇品家雅見」とその著者増田金太(増田繁亭金太郎)somoku kihin kagami /masuda kinta (masuda hantei) 

文政10年(西暦1827年)江戸青山権田原の種樹家(植木屋)金太は「草木奇品家雅見」を著しました。これから、増田家7代目(金太から6代目)の私が金太の足跡とその周辺を探索します。 Copyright (C) 2007-2010 増田信敬 (masuda nobutaka)All rights reserved
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鹿島鉄道と霞ヶ浦茫洋
(この章の更新日2007.3.9)
 
 近くてもなかなか行けない所。1泊するほど遠くないが、朝起きてから考えては行けない距離で、結局後回しになる所、横浜市の西端に住む私にとって霞ヶ浦はそんな距離である。
 JR常磐線の石岡駅から霞ヶ浦の北側を鉾田市まで結ぶ「鹿島鉄道」もこの平成19年(2007年)3月31日限りで廃止になる路線である。
 廃止決定後、廃止間際の混雑を避けて「素」の「鹿島鉄道」を見たいと考えていたが、結局訪れたのは廃止まで2ヶ月を切った2月10日土曜日となってしまった。 
 
 
つくばエクスプレスの開業によって廃止とは
 
 平成17年8月24日に「秋葉原」~「つくば」間58.3kmに「つくばエクスプレス」が開業し、「つくば」まで45分で結ばれた。なかなか盛況のようである。
 ところがその影で、競合せず、一見関係のなさそうなローカル私鉄、鹿島鉄道が苦境に陥ってしまった。
 
 鹿島鉄道は、首都圏の通勤圏としてはやや外れたJR常磐線の石岡駅を起点とするため、車社会と生活行動様式の変化、少子高齢化の波を被って、毎年赤字を出していたが、親会社の関東鉄道のお陰で命脈を保ってきた。
 その親会社のドル箱が常磐道を経由する「つくば」と東京駅を結ぶ高速バスであった。「つくばエクスプレス」が開業するまでは10分間隔という、中距離に属する高速バスではもっとも高頻度の路線を誇っていた。
 
 関東鉄道も、JR常磐線の取手駅から下館までの常総線という鉄道路線があるが、取手近郊で首都圏の通勤圏に入ることもあり、末端区間で赤字を出しながらも、件の高速バスの高収益により積極投資を行ってきた。鹿島鉄道もそのおこぼれに与ってきたのである。
 
 しかし、高速バスは「つくばエクスプレス」の開業によって大打撃を受けてしまう。
 首都高を利用される方ならご存知のように、東京駅と常磐道間の首都高は、江戸橋、箱崎、堀切、小菅の各ジャンクションで慢性的な渋滞を起こし、それがために特に朝方の東京駅行きの定時性が確保できず、「つくばエクスプレス」に対し競争力を失いつつあるのだ。
 
 
首都高が混まなければ早い高速道
 
 平成19年2月10日土曜日、やや遅くなったが午前8時20分に家を車で出る。
 土曜日の石岡発10時29分と折り返しの鉾田発11時55分に、廃止を聞きつけてくる人のために旧型のディーゼルカーを走らせていると情報を得た。
 残念ながら、この時間ではJR常磐線の特急ではいずれにも間に合わない。
 
 首都高は相変わらず小菅で渋滞したが横浜の西の端から1時間弱で三郷から常磐道に入り、千代田石岡インターを10時前に降りた。
 しかし、降りた国道6号線で激しい渋滞に巻き込まれた。これでは石岡駅は無理なので鉾田駅を目指すことにしたが、鹿島鉄道に並行する国道355号線に入るまでに小一時間を要した。
 
 
鹿島鉄道榎本駅でキハ714を待つ
 
 結局、鉾田駅も無理とあきらめ、四つ手前の榎本(えのきもと)駅の鉄道利用客用の駐車場に車を止めて、件の旧型のディーゼルカーを待つことにした。
 駅は当然のごとく無人であるが、構内は広く、単線の上下線の離合のほか、今は使われていない貨物の用地もある。
 この榎本駅からは、かつて自衛隊の百里基地までパイプラインが引かれ、鹿島鉄道ではJR石岡駅から引き継いだタンク車によるジェット燃料輸送を行っていたのであった。
 
 しばらく待って、同じく旧型のキハ600型を連ねたキハ714が来た。 同駅で上りと下りが行き違い、別れを惜しむ乗客で混雑するキハ714に乗り込む。
 
 このキハ714は、財政再建団体入りで今を時めく北海道の夕張市から昭和51年(1976年)に鹿島鉄道に譲られて来たディーゼルカーで、製造は昭和28年(1953年)という。
 そう、夕張にも私鉄が在ったのだ。石炭を運ぶのが主な役割の鉄道であったが、この車両は私鉄が線路を炭鉱地帯にめぐらせていた時代の産業遺産である。
 
榎本駅進入 DSC0058S_edited-1.jpg   
 
 
榎本駅で下り列車の到着を待つ
 
 
旅人の印象
 
 やや苦しげなディーゼル機関の音を床下から響かせ、茫洋とした霞ヶ浦の北端をディーゼルカーは快走し、混雑にも関わらず大した遅れもなくJR常磐線との接続駅、起点の石岡駅についた。旧型のディーゼルカーはこの一往復で今日の仕事を終えるようで、隣接する車庫に入っていった。
 ホーム上の駅事務室は運転、操車係りが本務のようで、ポイントを切り替え、信号を確認し、業務に専念したいところだが、廃止のお別れ記念品も販売しなければならず、忙しいそうで声を掛けるのも憚れる。
 
石岡駅構内  DSC0092S_edited-1.jpg  
 
 
 その後、常陸小川駅、玉造町駅に乗り降りしながら終点の鉾田駅に戻った。
 鉾田駅を除けば、駅頭はくたびれており、全国おなじみのシヤッター通り商店が軒を連ねていた。駅前に比べると鹿島鉄道に並行する国道355線にはロードサイド店が立ち並び、今日の美しい国日本の風景が流れていく。
 
 変わらないのは西日で輝く霞ヶ浦の自然だけであろうか。道路脇ではもう一本霞ヶ浦に道路橋が欲しいとそこここに看板が並ぶ、人の流れは鉾田や玉造から車で石岡を経由せずに土浦や直接東京に向いているのであろう。
 
 
鉾田駅の賑わい
 
 別段、駅前の商店に賑わいがあるのではない。
 廃止の聞きつけて遠方から来る人達に歓迎の意を込めて、また、これまでかんばってきた鹿島鉄道を労うために、駅構内でミニコンサートが開かれ、降り立った乗客に特産の農産物が配布されていて賑わっているのだ。
 私も、突然、白人の男性に人参とパンフレットを手渡されて、「どうもどうも」と言葉にならない謝意を伝える。
 常陸小川駅にもあったが、鉾田駅には本来広告のスペースに、地元の生徒が描いた「鹿島鉄道(かしてつ)がんばれ」の大きな看板の絵が並ぶ。廃線の危機を乗り越えようとがんばった人達の声が並んでいる。
 駅構内でのミニコンサートの歌詞も線路の存続を望んだものであった。
 
 
鉾田駅前
 
 
構内でのミニコンサート  
 
 
やはり車には定時性がない
 
 鉾田駅を後にして、折り返し列車で車をデポした榎本駅に戻る。
 時間は16時、日も傾きつつある霞ヶ浦を横目に帰路につく。国道6号に入る前に往路よりもさらに激しい渋滞に巻き込まれた。
 鉄道が廃止されて、バス通学の生徒は渋滞に悩まされるだろうなと思う。
 
 常磐道は順調であったが首都高の小菅から四つ木まで渋滞し、迂回した湾岸線の東京港トンネルの事故渋滞で自宅まで4時間掛かった。
 まことに、車には定時性がないものである。
 
Copyright (C) 2007 増田信敬 All rights reserved
 
修正2007.3.9/作成2007.3.7