「草木奇品家雅見」とその著者増田金太(増田繁亭金太郎)somoku kihin kagami /masuda kinta (masuda hantei) 

文政10年(西暦1827年)江戸青山権田原の種樹家(植木屋)金太は「草木奇品家雅見」を著しました。これから、増田家7代目(金太から6代目)の私が金太の足跡とその周辺を探索します。 Copyright (C) 2007-2010 増田信敬 (masuda nobutaka)All rights reserved
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植木屋石井弥助のこと

 (この章の更新日2010.1.2)

 

増田金太の実父石井弥助

 

   

  江戸青山権田原の植木屋石井弥助は、増田金太(繁亭)の実父です。

 

 

    また、石井弥助は、増田金太郎(初代)の出身地である武蔵国久米村(現在の埼玉県所沢市久米)の時宗長久寺に、本堂の天井絵を寄進するなどしています

 

  この天井絵の寄進や石井弥助が浄土真宗林光寺に建立した墓石(参照http://soumokukihinkagami.com/aboutus.aspx)の大きさなどから、石井弥助は、ある程度の財をなした有力者として、また、植木屋(種樹家・園芸家)として一定の評価を得た存在であったことがうかがえます。(2007.2.28)

 

 

時宗長久寺の天井絵

 

 所沢市久米の時宗長久寺の天井絵は、江戸青山権田原の石井彌助により嘉永2年(1849年)に寄進された。

 寄進の名目は、金拾両とともに「願阿眞珠信士 釋(釈)妙眞信女 菩提之為」と長久寺の文書に記されている。

  

 天井絵は、外陣には「天女絵(飛天之図)」、内陣の格天井には「花鳥風月」が描かれていたが、昭和40年の台風により立木が本堂に倒れ掛かり、天女絵はその後の風雨も伴って著しく毀損した。

 現在、「天女絵」はお顔の部分が2額に納められ外陣に掲げられているが(非公開)、お顔の大きさから想像するに飛天之図はかなり大きく、壮大な天井絵であったと考えられる。

   残念ながら絵師は不明である。 

 

   内陣の「花鳥風月」については良く残っており(非公開)、この天井絵については林田宏昭氏が平成5年に調査をされて「所沢市史研究第20号」(所沢市教育委員会文化財保護課編)に詳しく解説されている。

 

 林田宏昭氏によれば、格天井絵は32面現存し、作画の時代は文化文政期(1804年)から嘉永元年(1848年)と推定される。

 

 また、絵師は、「館霞舫」とその一門(北越霞艟、霞庵楽雍、霞翠、鷗村寫、)が7面、「伝久寺麟振」門下(蘭渓、鳳山)が2面、「間宮鮮山」門下が2面、「野田旦嶺」父子が3面、「小幡一峰」門下(一閑)が1面、その外、「其秀畫、梅谷、東濟門弟、雪岳、房保筆、嘯月、叔雍、櫻亭寫、高木翠厓、雍智、白梅女、紅梅女、暁村、遊峰、川俣、環山」の名と落款が確認できるという。

 

 文化文政期から嘉永年間に掛けては、江戸府中では金生樹を扱う植木屋らが寺社の天井絵を寄進した例が多く見られ、ほとんどが戦災で焼失したが、例を挙げると四谷須賀神社(明治維新前は、稲荷社と牛頭天王社)、赤坂豊川稲荷、千駄ヶ谷八幡、月見岡八幡等に見られた。

 

 話しを石井弥助に戻す。

 年代から推測するに、この長久寺の天井絵を寄進したのは石井弥助の家督を相続した東都青山権田原の植木屋石井彌助である。つまり、増田繁亭金太の長兄であり、繁亭金太が天保改革で奢侈禁令に触れても石井家は青山権田原で植木屋を営んでいたことが知れる。

 

 では繁亭金太の方であるが、長久寺に残る文書によると、天保5年(1835年)に「江戸青山住 植木屋彌助 同金太郎」で5両を「永代祠堂料納之」のため、天保6年(1836年)に「江戸青山住 植木屋彌助 同金太郎」で同2両と記載されている。

 大儲けした植木屋が5両、2両では如何にも少ないが、大檀家である旗本中根家(祖先は、中根傳七郎(中根伝七郎正重))に遠慮があったものと考える。(更新2010.1.2、作成2009.12.30)

 

 

巡見使 中根伝七郎

 

中根家は千五百石の大身で、巡見使も務めている。(2009.12.30

 

   

  

   参考文献 「所沢市史研究 第20号」 平成9年 所沢市教育委員会文化財保護課編

        「所沢市史 社寺」 昭和59年 所沢市史編さん委員会編

 

 

 

更新2009.12.30/作成2007.2.28

 

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