「草木奇品家雅見」とその著者増田金太(増田繁亭金太郎)somoku kihin kagami /masuda kinta (masuda hantei) 

文政10年(西暦1827年)江戸青山権田原の種樹家(植木屋)金太は「草木奇品家雅見」を著しました。これから、増田家7代目(金太から6代目)の私が金太の足跡とその周辺を探索します。 Copyright (C) 2007-2010 増田信敬 (masuda nobutaka)All rights reserved
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庭の花木

(この章の更新日2007.11.18)

 

【のうぜんかづら(凌霄花)】(平成19年6月30日撮影)

 初めてこの花を知ったのは長野の善光寺の山内(さんない)寺院で、思わずお寺の大黒さんに名を問うたところ、「脳天頭(のうてんかつら)」。
 もちろん聞き間違いだが、余りの暑さに、父親も私も頭から思い込んでしまった。

    庭の花木【のうぜんかづら】070630.pdf 

 

【さつき】(平成19年6月9日撮影)

 「さつき」も江戸時代から親しまれてきた花木である。

 ちなみに父親は、子供のころ「ガチャポンポンプ」で水を汲み、朝夕盆栽に水をくれることを4代目の謹三郎や親から強いられたので、盆栽が嫌いになった。盆栽の数は相当数あったとのことで、斑入りや変わったものもあったと記憶している。
 とすれば、戦災で焼け失せるまで、繁亭金太の盆栽を育てていたと考えられる。

   庭の花木【さつき】070610.pdf

 

【ミヤコワスレ(都忘れ)】(平成19年5月3日撮影)

 なんとも品のある名前である。
 都の高貴な公家の娘が、遠国の嫁ぎ先の庭で小さな花をめでて、望郷の思いに駆られているような響きがある。

   庭の花木【みやこわすれ】070503.pdf

  

【はまなす】(平成19年5月3日撮影)

 繁亭金太の時代にも、「はまなす」は江戸で栽培されていた。斑入りはないので、もぱっらその芳香が好まれたのであろう。

  

   庭の花木【はまなす】070503.pdf

 

【鬱金(ウコン)の桜】(平成19年4月8日撮影)

 父親が嬉々として買ってきてから15年ぐらい経ちましたでしょうか。

 古来からウコン色は高貴な色として珍重されてきたようです。鮮やかな淡黄色の花ですが、何分、我が家の桜は葉が同時に出ますので、「気が付くと咲いていた。」ということが多い花です。

 なお、「右近の桜(正しくは、「右近の橘、左近の桜」)」については、次のホームページが参考になると思います。実は、私も少し前まで「右近の桜」で京都御所に植えられている桜と同じなのだとばかり思っていました。http://web-honbu.jimu.nagoya-u.ac.jp/fmd/2skikakuka/campustosisetu/image%20campussisetu/tyotto_meidaisi/13no120.pdf

 

 きれいな写真はこちらから → /Documents/IMGsss_0502.jpg

 きれいな写真はこちらから → /Documents/_DSC0191sss.jpg

 

 

【チューリップ(平成19年4月8日)

 ウコン色についてもうひとつ。チューリップは、増田金太の没年(1862年)の翌文久3年にフランスから球根が輸入されたそうです。それ以前から欧州にこの花のあることは知られており、当時付けられた名前は「鬱金香(うっこんか)」でした(引用「十九世紀日本の園芸文化-江戸と東京、植木屋の周辺-」平野恵著2006年(株)思文閣出版P237、P261(孫引「田中芳男十話・田中芳男経歴談」田中芳男を知る会編2000年))。

 

  黄色の花が好まれたのでしょうか。

 

 きれいな写真はこちらから →  /Documents/IMG_0499ss.jpg

  

 

  

【桃】(平成19年3月25日撮影)

 白と桃色の咲き分けを買ってきて植えましたが、年々、桃色の花が減り、白一色になってきました。

 どのように手入れをすれば咲き分けてくれるのでしょうか。

 

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【さくらそう(桜草)】(平成19年3月25日撮影)

 我が家の桜草は、土壌の性質からか、桃色や淡い色は数年で消えてしまいます。

 黄色ばっかりで少々残念ですが、この時期庭一面が黄色に染まります。また、そろそろ雑草に追いかけられる時期でもあります。

 桜草は、増田金太の時代に流行し、変わり花を競って栽培し、品評しあって楽しんでいたようです。

 

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【侘び助(椿)】(平成19年3月21日撮影)

 薄桃色の花が下向きにひっそりと咲いていました。ほんとに淡くて、心落ち着く花です。蕾のときは上を向いているのに、咲くと俯く、粋な花です。 

 毎年秋に私が枝を切り詰めてしまうので、大きくなれずにいます。ごめんね。

 

 増田金太の時代、椿も斑入りや八重など変化した花、金魚のような形をした葉を持つものなどを接木で栽培し、その珍重さを競い合っていました。

 一鉢が高額で取引されるようになり武家が熱中して浪費するあまり、老中水野忠邦は、「椿は首が落ちるから武家には好ましくない。」と言って諫めたということです。

 

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【ユキヤナギ(雪柳)】(平成19年3月21日撮影)

 細く長い多くの枝と雪のように一面に咲く白い花から名付けられたのでしょう。半日陰でもよく花をつけます。

 でも、この花が咲く頃には、もう雪は降りませんね。

 

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【むらさきはなな(紫花菜)】(平成19年3月18日撮影)

 ぽつぽつと紫花菜が咲き始めました。

 この花は群生することが多く、種が落ちて翌年油断をしていると庭一面覆い尽くされます。

 

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【みつまたの咲く頃】 (平成19年3月18日撮影)

 みつまたは、成長の段階で枝が必ず三つに分かれることから名付けられたのでしょう。
 二つや四つには分かれないのは、自然の摂理とはいえ不思議なものです。また、みつまたは紙の原料になることで知られています。
 花の香りもよく、例年、彼岸を過ぎて本当に暖かくなって来たなと想う頃に咲きます。今年は少し早いかな。
 私の家の近くでは大和市高座渋谷の「常泉寺
http://www.jousenji.com/main/index.html」が有名です。

 

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【千駄ヶ谷の椿】(平成19年2月28日撮影)

   この椿は、6代目にあたる私の父親(増田重次)が渋谷区代々木2丁目(旧渋谷区千駄ヶ谷)の実家から昭和32年ごろに移植したものです。

 写真ではわかり難いのですが、手を広げたほどの大輪のものです。

 今年、私は初めて斑入りの花びらを見つけました。

 

 この木は、東京大空襲で焼けて枯死したのが、翌年、地中から芽を吹いたものだそうです。

 ひょっとすると、増田金太の時代から生きてきたのかも知れません。私はそう信じています。

 近年、大きくなりすぎて頭を抑えたのと、ムクドリの食害で樹勢が悪くなりましたが、今年はよさそうです。

 

    きれいな写真はこちらから →   /Documents/IMG_0445ss.jpg

 

 

 

  

【2007年冬から春へ】(平成19年2月27日)

   ことしの冬は昨年に比べると暖かで、我家の庭の春の訪れも早くなりました。

  1月20日には紅梅が咲き始め、2月3日には昨年より20日も早く8分咲きとなりました。(2007年2月11日撮影)

 

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 【ハイビスカス】(2007年2月11日撮影)

   こちらはハイビスカスです。昨年の7月に買い求めた鉢が咲き続けて冬を越そうとしています。

 増田金太が「草木奇品家雅見」を著した文政年間、ハイビスカスは「仏桑花 (ブッソウゲ)」と名付けられ、遠く琉球の国から運ばれて来たそうです。

 当時はなかなか冬を越せなかったということですが、植木屋や園芸愛好家は「唐室(とうむろ)」という萱や稲わらで造った保温用具を考案して冬の寒さをしのいで育てたのでした。 

 

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  【河津桜】(2007年2月11日撮影)

 次は河津桜です。5年前の平成14年に伊豆の河津桜を見に行ったときに買い求めました。車のトランクに入るほどの背丈でしたが、天に向かって大きく伸びています。

 

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修正2007.4.17/追加2007.4.16/修正2007.3.27/追加2007.3.26/追加2007.3.19/修正2007.3.3/修正2007.3.1/追加2007.2.28/作成2007.2.27