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増田金太が建立した無縁塔 (この章の更新日2008.2.27) 増田金太(繁亭)は、亡くなる前年の万延2年(1861年)、菩提寺の浄土真宗本願寺派「林光寺」(現新宿区南元町)に、無縁塔を発起人となって寄進しました。 この無縁塔は、幕末の当時、近隣諸国から棄民となった農民や財を得んとして四谷・南元町周辺に溢集した町人の無縁者、行き倒れ人、薄幸の遊女らの霊を慰めるものであったでしょう。 なお、植木屋が寄進した「無縁塔」については、地域の有力者として、植木屋が寺院の檀家総代となって安政6年(1859年)に建立された無縁塔の存在が平野恵(ひらの けい)氏によって指摘されています(「十九世紀日本の園芸文化-江戸と東京、植木屋の周辺-」平野 恵著2006年思文閣出版470ページ)。 増田金太の寄進した無縁塔は、東京大空襲の焼夷弾の直撃を受け、台座を残して上部が壊れてしまいました。 現在では、これも空襲により一部が破損した増田家初代の墓石(初代の墓石は二代目金太ではなく、金太の実父石井弥助が建立しています。)を無縁塔の台座の上に据えて、菩提寺から遠く離れた横浜市泉区の浄土宗「宝心寺」に置かれております。 これは、菩提寺の「林光寺」(現新宿区南元町)が首都高速4号線の建設により寺域が狭められた結果、行き場所を失ったためですが、私の父母である増田家6代目(増田重次)の妻の実家がこの横浜市泉区の浄土宗の寺院であったため、私の叔父(増田三郎)の尽力により落ち着き場所を得たものです。 増田家の初代は、武蔵国久米村から江戸青山に出て亡くなり、はるばる横浜まで昭和の時代に引っ越したことになります。 同じく、無縁塔により慰められた諸霊も100年余りを経てようやく永住の地を得ることができました。 時宗、浄土真宗本願寺派、浄土宗は、いずれも阿弥陀如来を本尊としています。 阿弥陀如来様の不思議なお力を感じざるを得ません。 合掌 なお、無縁塔の発起人は増田金太ですが、往事の菩提寺の浄土真宗本願寺派「林光寺」(現新宿区南元町)の第29世住職のお名前と、同時に寄進者として世話人の名が次のとおり記されております。 「壬時萬延二年辛酉二月 當山二十九世 瑞應代立■」 「發起人 増田金太郎(「増田金太」は、「増田金太郎」とも表記していました。)」 「世話人」として、 「三宅泰税、内藤■太夫、加藤七五三、石井彌助(石井弥助の子と考えられます。)、中島恒右衛門、三河屋吉右衛門、三河屋寅五郎、三河屋喜三郎、尾張屋松五郎」 また、無縁塔台座の記載内容は、現在、解読中です。下記の「無縁塔台座正面」の高詳細画像をご参照ください。 大きさは、無縁塔台座の幅 1530mm、 高さ1330mm、 奥行1100mmあります。 無縁塔台座上部に載っている増田家初代の墓石は、その高さ1500mmで、なお、上部が欠けた状態となっています。 高詳細画像はこちらをご覧ください(画像の大きさは、7~8MBあります。)。 Copyright (C) 2007-2008増田信敬(masuda nobutaka) All rights reserved | | |
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